結婚に大きな違いはない

うちの亭主のように、ろくに英語もフランス語も話せない男が、金髪の美人をお嫁さんにできるわけがないし、もし万一できたとしたって、一か月もてばいいほうで、長続きするわけがありません。そのへんの現実把握さえきっちりできていれば、見合いだろうと恋愛だろうと、それほど大きな違いはないのではないでしょうか。今だったらプロポーズの言葉なんてなんでもないと思うのだけれど、まだ二十代だったころのぼくは、初といおうか純情といおうか、結婚したいというその言葉がなかなか出てこなかった。結婚前にで、相性ピッタリの相手を見つければ結婚生活の苦労はもっと減るだろう。夜、床についてから、まるで下手な役者が芝居の稽古をしているかのように、その場面を頭に描きながら何度もリハーサルをしたものだった。およそプロポーズには、二つの形があると思う。一つは当たって砕ける式の玉砕型ないしは涙伏(ねじふせ) 型で、もう一つは断わられた場面を予想した和戦両様型だ。前者の場合はまことに勇ましく、たとえ火の中水の中、あなたとならばどこまでも……、相手がそれでどう思おうと、ただがむしゃらに突っ込んで行くやり方だ。この形はまことに男らしい。アメリカ映画の西部劇なんかで、胸毛がいっぱい生えた二枚目の主役が、これも絶世の美女であるヒロインをたくましい胸の中にしっかりと抱きしめて、プロポーズの台詞(せりふ) をはくと、観客たちは思わずため息をつく仕組みになっている。ぼくもこういう場面で何度うっとりと夢見心地にさせられたことか。

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