結婚のあいさつ

それというのも、彼女の両親の方が用事が多くて立ったり坐ったり席をはずしたりしてなかなか落ち着かないせいもあった。まず相手がいないと、何もできないので、ここ→で相手を探してください。彼女自身も奥へ引っ込んだきりちっとも出てこない。お茶を入れかえに出て来たところをつかまえて、「いったい、どうなってるんだい、これは」と聞いてみると、「伊東さんが何か大事な話があるから二人に会いたいそうよ、といっておいたんだけどでも、両親はうすうすは気がついているんじゃないのかなという説明を聞いて、さっきから落ち着かないのはやはりこっちと同じ理由だったのかと、ようやくぼくが無視されたのではないことがわかって安心した。「お嬢さんを嫁にいただきたいんですが…」ぼくはころあいを見はからって切り出した。この時も母親のほうは席を立っていて、結局、父親にぼくは申し込んだ。それから、また、すぐ、「そのかわり、名前は差し上げます」といい添えた。これは随分考えたあげくの台詞で、ぼくとしては精一杯の讓歩をしたつもりだったが、よく考えてみるとつじつまの合わない妙な台詞だ。「お嬢さんをお嫁にください」はいいとして、「ぼくの名前を差し上げます」というのがよくわからない。やっぱりその点について、遠慮勝ちではあったが説明を求められた。つまり、ぼくの気持としては、娘さんに嫁に来てもらうかわりに、ぼくの姓は変えてもいいということだった。そのかわり、「何度も申し上げるようですけど、娘さんはぼくのところに嫁に来てもらいます」嫁に来てもらうという所に、あらためて力を入れて念を押した。「よろしい、わかりました」相手が充分納得してうなずいてくれたとき、ぼくは正直なところ天にも昇る気持だった。彼女に対するプロポーズなどよりこっちのほうが、何十倍か骨も折れたし、終わったときはほっとした。

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